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おひさまのような花

『ドリアン・グレイの肖像』…(4)

 

【Sibyl Vane -舞羽美海-】

 

言わずと知れた宝塚歌劇団の元トップ娘役。あの音月桂氏のお相手役という事もあって、あまり宝塚に詳しくない、あるいは観劇したことがなくても、知っているという人は多いのではないだろうか。私もその一人だ。恥ずかしながら、ジャニーズ事務所所属以外の舞台を中心に活動されている俳優さんには疎いのだが、舞羽さんはキャストが発表された際すぐに「あ、あの方が!」とわかったうちの一人であった。

今作の決定にあたって改めてお姿を拝見しようとスタッフの方の運営されているツイッターアカウントを遡ったり宣伝で出演されたバラエティ番組を視聴したりしてみたのだが、いずれを見ても大変に見目麗しく、また当然ではあるがお芝居にも定評のある方である事を改めて知り、実は初日を迎えるまでの間に勝手に一番期待値を上げてしまったのが彼女の演じるシヴィルに対してであった。

 

原作において、ドリアンはシヴィルの魅力をヘンリーにこう説明している。

「ハリー、小さな花のような顔をした、十七歳にも満たない少女を思い浮かべてみて。その頭はギリシャ人のように濃い茶色の髪を三つ編みにしていて、瞳はすみれ色をした情熱の源泉であり、唇はバラの花弁のようだ。」

舞台の上で舞羽さんは、まさにこの部分を体現したような可憐さであった。そのお名前の通りに、羽の舞うような軽やかな動きと、美しい海のように透き通った声。彼女の魅力に一瞬でとりつかれ、感動を抑えられなかった私の気持ちは、初めて劇場でシヴィルを見た日のドリアンと同様であったように思う。

 

彼女がこのシヴィルらしい少女のような可愛らしさを一番惜しみなく表現したのは、ドリアンと楽屋で初めて言葉を交わすシーンではないだろうか。観客はここで、彼女の持つギャップの大きさに驚く。舞台上でシェイクスピアのヒロインを次々に演じた一種の貫録と凄みを持つ女優シヴィル・ベインと、楽屋でドリアンの投げたバラの花を愛おしそうに胸に抱きながらはにかむあどけない彼女が、とても同一人物に見えないためである。この部分の演じ分けが素晴らしかった。

余談だが、今回の上演で唯一私が毎回泣いたシーンはここであった。ドリアンの自分に対する賞賛の言葉に対して「みんな喜びます」と返し、頬を赤らめて彼を「プリンスチャーミング様」と呼ぶ、そのけなげさやいたいけさを見ていると、これから彼女の身に起こる悲劇を思い自然に涙が出たのだ。観客の感情をそんな風に自然と芝居の世界に誘ってしまう彼女の演技を見て、ヒロインの素質とはまさにこういったものかと感嘆したのを覚えている。

 

そして舞羽さんとシヴィルのもう一つの共通点は、その美しさが単に表面上だけのものではないという点であろう。ドリアンは、彼女の容姿を賛美する一方で次のようにも言っている。

「私は彼女に飢えている。あの象牙色のちいさな身体に隠された素晴らしい魂のことを考えると、僕は恐れ多くてたまらない。」

この言葉からは、彼が肉体という視覚的な美の奥に彼女の純粋で穢れなき魂の美しさを看取していることが窺い知れる。一つ前のバジルについての記事で「肉体と魂の調和」について触れたが、シヴィルの中においてはまさにそれが実現しており、だからこそドリアンの心を捕えているのである。

そしてこのことは、舞羽さんにも言えるのではないだろうか。宝塚では音楽学校時代から、「清く、正しく、美しく」という教えを徹底していると聞いたことがある。これはまさに、精神(=魂)の美しさが外見(=肉体)の美しさに反映されるという考えに基づく指針であろう。少女時代からこのような教えの下に学び、育ち、女優として大成された彼女の背景と、常に周囲に対して愛を振りまくような笑顔を絶やさない彼女の姿勢を鑑みると、舞羽さんがあのように完璧にシヴィルを演じることが出来た理由がわかる気がする。

 

物語の概要上仕方ないことではあるが、シヴィルの出演がほぼ一幕のみだったのは残念であった。前述の場面の他に彼女が舞台に出たのは、弟のジムとロンドンで最後の一日を過ごすシーン、ドリアンに一方的に別れを告げられむせび泣くシーン、そしてアヘンがドリアンに見せる妄想の中のシーンの三場面のみである。

極めて個人的な感想であるが、私はジムとのシーンが大好きだった。自分がジム役の仲田拡輝くんのファンであるがゆえに楽しみなシーンであったことも理由のひとつであるが、それ以上に彼女の持つ愛情の深さや、包み込むような温かい人柄が表れているように思えたからだ。

実際に姉弟役のこの二人は今作をきっかけにとても良い関係を築いていたようで、千秋楽後のツイッターでは、街で見つけたシロツメクサの花に彼のことを思い出し「あなたは新しい世界へ旅立ち…あたしは新しい世界を見つけた」という台詞を引用して拡輝くんのこれからを応援する言葉を投稿している。「可愛いジム」という彼女の一言から、姉のように彼のことを可愛がってくれていたことが窺い知れるようで、なんだか私まで勝手にしあわせな気持ちになると共に、改めて彼女の女神に愛されたような容姿の美しさは、天使のように慈しみ深い彼女の心の美しさに裏付けられているのだなぁと感じたのだった。

 

物語の上でシヴィルはドリアンに恋をすることで、「現実」だと信じてきた芝居の世界が「影」であることに気づき、これによって「現実」と「影」の均衡が崩れてしまう。シヴィルはこのことを「魂」の解放と表現するが、それは言い換えればつまり「肉体」と「魂」の調和の崩壊である。ドリアンにとって「影」に現実性を与えることが出来る彼女は一種の芸術であったが、それができなくなってしまったことで彼女はドリアンの関心の対象から外れ、その結果物語の世界から自殺という悲劇的な結末をもって追放されることになる。

 

しかし、舞羽さんの演じたシヴィルがその後も尚ドリアンという男の一生に強い影響を及ぼし、それと同様に私たち観客の中にも大きな印象を残したのは言うまでもない。

 

 

 

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