pua nānā lā

おひさまのような花

『ドリアン・グレイの肖像』…(3)

 

【Basil Hallward –金すんら-】

 

今後原作を再読する際、私はバジルの全ての台詞をあの暖かくて深みのある金すんら氏の声で再生することができるだろう。それは何と贅沢なことだろうか。すでに千秋楽の幕が閉じてから5日が経過しているが、彼の口からまるで歌のように発せられた心地良いバジルの言葉の音色をいまだに鮮明に思い出せる。

 

出演者陣の中で一番の年長者であり、劇団四季で数々のミュージカルの経験を積まれている大ベテラン。(お調べさせて頂いたところ、『ライオン・キング』では、スカー役を演じられていたとの事。見てみたかった…!)それゆえであろうか、原作ではドリアンを過剰に崇拝しそれによって翻弄されてしまったバジルも彼が演じると、結果的には同じ運命を辿るとはいえ、どこかその中に一本の筋がぶれずに通っているような印象を受けた。

 

前回投稿したヘンリーについての記事で、ヘンリーは「世間の人々からみた作者」を表していると書いたが、その観点から見たとき、作者はバジルについて「私が自分だと思う人物(what I think I am)だ」と述べている。一見すると対照的に見えるヘンリーとバジルの中に、断片化されたワイルドの「実際の、あるいは潜在的な自己の一部」が投影されており、その中でバジルは作者の実像がもっとも色濃く反映されていると本人が認めたキャラクターなのである。

そもそもこの物語はバジルが肖像画を描いたことからスタートしているのであり、彼は肖像画の創造主であると同時に物語の創造主である。作中では肖像画完成以降の出演シーンはあまり多くなく、見方によってはバジルが絵を完成させそれをドリアンに引き渡したその瞬間に、ドリアンから、またこの作品自体から急激に遠ざかり切り離されているような印象を受けるが、それらの関係性が単純に希薄になったわけでは決してないということは、彼が最終的に自分の描いた肖像画の下でそれを原因としてドリアンに殺害されるという方法で責任を果たすことに明確に表れている。

 

「あまりにも自分自身をこの絵に注ぎ込んでしまった」と言うバジルの言葉に暗示されるように、この肖像画の中には描き手のバジルとモデルのドリアンの魂が融合している。原作のバジルは自らを「生来独立心が強く、常に自分自身が自己の主人であった」と評価している通り、ドリアンに出会ったときその美しさに魅せられると同時に、彼の存在が自分の魂を飲みこんでしまうことに恐怖を覚える。彼はそれに反発してドリアンの魅力を芸術の範疇に押し込め、その枠組みに収めることで自分の芸術の可能性を拡げようとしたが、結果的にはむしろ彼の芸術はドリアンに乗っ取られることとなり、まさに彼の恐れていた通りその魂をあけ渡してしまったのである。ヘンリーが極めて意識的に、綿密な計算の下にドリアンに影響を与えたのに対して、このバジルとドリアンの魂の交感は無意識的、あるいは本能的に起こったものと言える。

 

また、バジルとドリアンの魂の融合と同時に、この肖像画にはドリアンの魂と肉体の融合が映し出されている。ワイルドの著書『芸術家としての批評家』に、「肉体の眼で見る以上に魂の眼で見る」という言葉があるが、バジルもまさにその信条の通り、表象や象徴のみから美を見極めることがいかに危険で無意味な行為であるかを知っていた。だからこそ彼はドリアンの無垢な魂を崇拝し愛し、それがハリーの誘惑によって肉体から分離し汚れていくことに対して身の引き裂かれるような悲痛の思いを感じたのだ。

 

ドリアンの数えきれない醜聞を知りながらも彼の潔白を信じようとし、ついにその希望がないということがわかると、彼はドリアンに自分の罪を悔い改めるように諭す。そして死の直前まで、その命を奪った張本人であるドリアンのために祈り続けたバジル。

 

破滅に向かっていく彼を心の底から心配し、そのきっかけを作ったことに対する重い責任を感じ、正しい方向に導きたいという願いと、それでもなお彼の中にある純粋さを信じたいという慈しみの心を一言で表現するとすれば、それはまさに「親心」ではないだろうか。金氏の演じたバジルからは、芸術の対象としてのドリアンへの崇拝よりも、むしろそれが痛々しく感じる程に見て取れた。

 

ドリアンを演じた中山優馬氏は21歳。金氏とはちょうど親子ほどの年の差である。

そんな二人の共演だからこそ、今作のバジルは原作の印象よりもより温かく、穏やかに、ドリアンに父親のような無償の愛情を捧げる人物として表現されたのかもしれない。

 

そして、実際に共演の年若い俳優陣を息子のように可愛がってくださる金氏の包み込むような優しさが役に反映されていたがゆえに、バジルという人間の生き様は劇中においてより一層の深みと説得力を持つことができたのだろう。

  

 

 

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